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たが、その結果はぞっとさせられるものでした。アメリカでは今日、患者は1)施設で、2)激しい苦痛の中で、3)コントロールのできない状態で、そして、4)介護者から離れて死んでいるのです(JAMA,1995)。
「時々治り、しばしば苦痛が和らげられ、常に慰められる」という言葉が医学の人間的輝きを象徴する標語でありました。世界的に有名なウィリアム・オスラーやフランシス・ビーボーディやアルバート・シュワイツァーという高度にトレーニングされた研究者であり、かつ臨床家、そしてケアすることに熟達した過去の医師でなおかつヒューマニストというこれらの医聖はどこにいるのでしょうか。
芸術は、死あるいは死ぬこと、そして癒しということが医学的・病理学的なできごとでも過程でもないことを思い起こさせてくれます。世界が創造されて以来、死の神秘さは解決されていません。むしろ深遠になり、敬われ、そして時々単に共用されるだけです。
しばしばひとつのイメージ、1枚の絵、あるいはひとつの俳句は、千語にも値し、頭や心に染み入り、私たちの理解や同情心を深め、私たちの心を変えたりします。

 

質と伝統的なやすらかな死

西洋の芸術の中で、古代ギリシアの光景を描いたイメージほどふさわしい絵があるでしょうか。2000年に向かう中で、「ソクラテスの死」の絵画は1787年にダビデによって描かれたときと同じように刺激的で効果的であります。「サポート・プロジェクト」は入院患者の死の理解を深め、またより人情味のある介護を増進するために計画されたものですが、その研究でわかったことによると、ギリシアで古代に起こった光景を描写した2世紀前のダビデの目的は、今日の私のものと違いはないということです。
もしよろしければ、この場所と現在を東京のある病院と仮定してみてください。私の患者の最初の質問はいつものように「だれが死ぬのか」です。次に「だれが医師で、どこにいるのか」と続けて質問します。教育病院では、一般に医師が舞台の中央にいて、命令を出し、おそらく回診している最中に、そして処方した治療(カップの中の薬)によって患者から大喜びされるのです。死に直面した患者は、しばしば病院のガウンを着て受け身で、静かで、ただの患者として扱われ、事実、医師とそのスタッフからも見えないのです。あるいは、ベッドの端に座り、顔をそむけている患者の姿を、死にゆく患者としてではなく、敗北した、つまり失敗したと医師は感じているのです。なぜなら、その医師は自分の患者を死から救うことができないからなのです。
いまは、私たちが使う言葉を吟味する最もよいときです。死にゆく患者がどのように“失敗”するのでしょうか。“これ以上は何もできない”という言葉は、医師の辞書からは追放すべきです。
“担当医”とは、どのような意味でしょうか。担当の医師、あるいは患者のケアに責任のある医師という意味でしょうか。常に何かはできるのです。たとえばそこにいること、同情すること、話し相手になること、見ててあげることなどです。これらは過去の四つのケアのアートです。それは、高い学位を必要としない専門です。単純に、いつ、どのように自分自身が薬のようになれるのか、いつどのように世話をすることができるかを知ることです。日本語で“介錯(かいしゃく)”という言葉は、私の理解では切腹のときに用いられるということです。同じ精神的な意味をもつ言葉として、“世話をする”とか“付き添う”とか“参加する”という意味にもとれます。この動機は、哀

 

 

 

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